
今日はスモールのお誕生日でした!さっき気がつきました。
丸3年になります。
いつもこの日に思い出すのは、量り売りの商品と、すこしの調味料と雑貨くらいしかない広々したスモール。
前日まで父が漆喰塗ってて、当日開ける直前まで黒板書いたりバタバタしてました。
10月13日は、何を隠そう「豆の日」なんです。
この日に開ける!とだけただ決めてバタバタと準備したのでした。
スモールはいつの間にかごちゃごちゃとした店になって。
あの時自分が考えていたようなことが、結構どうでもいいような自分になっているけど、でも大事にしたいことは一緒だなーと思います。
金曜日は、味見の会「豆とスパイス」をしました。
いつも講座でお話するのは、普段家族に作るごはんは「ごちそう」でなくていいという話。
その季節にある素材で、きばらずに作れるものが良いと思っています。
講座をさせてもらうようになってお客さんから聞くのは
「ごはん作りが楽しくない」
「むしろ苦痛」
という話。
で、よく聞いてみると家族に大事されてないんです。
おいしいよ、とかありがとうとかなくて、平気で残されたり文句だけ言われたりしてる。
それは食べるっていうことが粗末になっている証拠かもしれません。外には安くで楽しめるような食事がたくさんあるし、テレビや雑誌の中の料理って手が込んでいたりして、それを作ったら喜ばれるとか栄養バランスがどうとか。
でも、そんなことではないと思っています。
「おいしい」というのは、一言だけどいろんなおいしさがありますよね。
料理っていうのは点滴と違う。いのちをもらうこと。
そして、作った人の思いを受け取ることだと思います。
そんな風に書くとたいそうに聞こえるけど、そうではなくて。
おうちのごはんに「とびきりおいしいもの」なんていらない。
時間がなかったら野菜炒めとごはんでもいいし、とりあえず冷蔵庫にある野菜を切って煮て味噌汁とごはんでも十分だと思う。
味付けが濃かったり薄かったり、見た目が悪くても、「あー今日は忙しかったんやな。疲れてるんやな。」って家族が気づいてあげる。そういうコミュニケーションだと思います。
元に戻りますが、そういうわけで、来てくれるお客さんたちみなさんすでに尊い仕事をされている!ということ、家族にこびず、自信をもって楽しくごはんを作ろう!とお話しているんです。
楽しくしないと絶対おいしくならないとも思います。
ごはんを作っている人、食材を作っている人、
がいるから生きられる。
食に関わる人が大事にされる社会になるといいなと心から思っています。
私が前の仕事をしていた時は、すさまじい食生活だったのですが、
なぜかその時「豆を炊く」時間が好きになって、よくやっていました。
その時間を知ってほしくて、お豆を販売しはじめたのがスモールのはじまりでした。
店舗がなくて出店させてもらうけど全然売れなくて、でも頑張ってて、今思うとよくやってたなぁと思います。
今は生産者さんやお客さんがいてくれて、ほんとうに恵まれた中でスモールができています。
ありがとうございます。
変わること変わらないこと、両方大事にやっていきます。
