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またね。

20日に父がなくなり、そろそろ1週間。私は元気です。

なんとも濃い1週間でした。

すごい経験だったなーとしみじみ過ごしています。

 

12年間の闘病生活、

絶望的な時もたくさんあったけど、なんやかんやでかわしながら、いつも明るく冗談言いながら過ごしてきました。

定年を前に白血病になり、いったん良くなり職場復帰して退職。

それから再発してまた治療。危機を乗り越え復活。

 

昔から運動、音楽、アートなんでも好きでやりたがり。

病気をしてからはじめたのは合唱でした。

若い人たちに混じって、はじめは楽譜も読めなかったくらいですが、毎週の練習を楽しみに行っていました。

 

その合唱も、去年の年末に退団。

病状が悪く、新たに治療を始めることになるかもしれない・・という局面で、本当に辛い決断だったと思います。

結局、内服だけで症状がコントロールできて冬から春は家で過ごせていましたが、春からまた入院して退院して・・今回は戻って来れませんでした。

 

最後にやりとりできたのはICUに入った日。

呼吸状態が悪く、人工呼吸器をつけないとダメかもしれない・・という時に

すごいあらい息で「またええ部屋入れてもろたわ・・」「おまえもうはよ帰りや」と。

きっと心配して困った顔になってた私に、いつもの調子で。

帰りがけに「お父さんまた来るから頑張ってな!」って言ったら、むくんでパンパンの腕でガッツポーズ。

 

「ケンカはしたくないけど病気には負けない!」

「いちばん明るい患者になる!」

っていう言葉通りの最後でした。

 

「線香くさい葬式は嫌や。明るい葬式にしてほしい!」とよく言ってたので、みんなでなんとか考えて、いろんな人たちにお願いして、本当にいいお葬式になりました。

 

ちいさいころからの写真を集めて友人家族がスライドショーを作ってくれたのでそれを流して

さみしくないようにメッセージカードを書いてもらえるようにもして。

 

お通夜は、小さいビールやジュースをまわして献杯。

そして、合唱団のみなさんが20名以上集まってくださって思い出の歌を披露してくれました。

レ・ミゼラブルの民衆の歌。

みんなで帝国劇場で歌った思い出の曲。

きっと一緒に歌っていたと思います。

私も号泣していたけど、あんなに大きな声で歌っていた合唱団の方たちも振り返ると涙を流してくれていて、人生の最後に素晴らしい仲間と出会えて父は幸せだったなぁと思いました。

 

お葬式は、父が楽しみに通っていた摂津響saalのアコーディオン奏者 森健太郎さんが演奏に来てくださいました。

葬儀の時に連絡する人を父がメモしていて、そこに「出演依頼」と。

あつかましいなーー!とみんなで笑って、これ見たら連絡せなあかんやん!と連絡させてもらいました。

快く引き受けてくださり、素敵な演奏で送ることができました。

弔辞を読んでくださった父の先輩の方のお話も素晴らしくて、私が知らない父の姿を知ることができました。

 

一週間、いっぱい泣いていっぱい笑いました。

遺影を探すだけでも、ちょけてる写真ばっかりで大笑い。

たくさんの人に「いいお父さんやったね」って言ってもらいました。

たくさんの人が、お父さんにこんなことしてもらったよって教えてくれました。

いつも誰かのためにおせっかいしてる人でした。

いつも笑ってる人。こまったな~っていう時も冗談言うてるユーモアを忘れない人でした。

スロウダウンを折ってくれてたのは父で、いつも一番に読んで、一番に感想を正直に伝えてくれる人でした。

 

あーーこれからどうやって生きていけばいいんだろうって途方に暮れたりもします。

でも、私がそんなんでは父がむこうにきちんと進めないかもしれない。

四十九日まではそばにいるってお客さんが教えてくれました。

それまでに手放すことができるかなぁ。

 

でも、私もこの父との別れで学んだことがいっぱいありました。

全部がギフトだったんだなぁって今日思いました。

楽しい葬儀に、というのも、きっと私たちのためだったのかも。

 

こどもは親を選んで生まれてくると言うけど、この人おもろそやな~って私は選んだのかな。

「変な娘ですねん」って私のこと人に言うたりしてたけど、そんな変な娘のすることおもしろがって見てくれてた。

とりあえず、私は変な娘を貫くことにします!

 

スモールは、29日(月)までお休みします。

来週からまた元気に店開けますね!

ご心配くださったみなさんありがとうございます。

トライアスロンに出てた頃の父。

左の小さいのがわたし。